論説・コラム

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回転窓/100年前の新星たち  [2020年10月26日1面]

 日本近代建築の礎を築いた建築家・辰野金吾は1919年、当時大流行したスペイン風邪を患い亡くなった。翌年、東京帝国大学(現東京大学)建築科の卒業を控えた若き建築家たちが「分離派建築会」を結成している▼日本近代建築の在り方を根本から問い直し、「我々は起(た)つ。」で始まる宣言文を世界に向けて発信。過去の様式建築から離脱し時代に即した芸術としての新たな建築の姿を世の中に問う新星たちは、大正時代の建築界に鮮烈なインパクトを与えたそうだ▼結成メンバーは石本喜久治、堀口捨己、山田守ら同級生6人。その後、山口文象、蔵田周忠などが加わり1928年まで活動を続けた。実社会に根差した建築家となった彼らはモダニズム建築を探求し多くの作品を残した▼新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に直面し、新時代を模索する現在。建築の芸術性や可能性を問い続けた分離派建築会の姿勢は多くの示唆を与えてくれるだろう▼分離派建築会の結成100年を記念した展覧会が東京・東新橋のパナソニック汐留美術館で開かれている。今後の道筋を過去に学ぶのも悪くない。

コメント

  • 匿名 より:

    1919年。大学に行けるのなんてホンのわずかな金持ちだけだった。ボンボンの道楽としか思えないが、それだけの財力が昔の金持ちにはあったのだろう。貧富の差が激しいのは現代と大差ないが。

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