日建連発足10年の軌跡

このエントリーをはてなブックマークに追加 文字サイズ 

日建連発足10年の軌跡・上/発信力高め内外に存在感発揮/土木と建築の垣根を越えて  [2021年3月16日]

東日本大震災の復旧・復興事業では、ゼネコンの総合力を発揮することが期待された

 日本建設業団体連合会、日本土木工業協会(土工協)、建築業協会(BCS)を統合した日本建設業連合会(日建連)が2011年4月に発足してからまもなく10年の節目を迎える。東日本大震災直後に発足した日建連の歩みは、復興の道のりと重なる。土木と建築の垣根を越え、復興事業をはじめ、その時々の社会からの要請に即応。建設業界が直面する課題の解決に向けた取り組みをリードしてきた。足跡をたどる。(編集部・田村彰浩)  08年のリーマンショック以降、国内の設備投資は急激に減少した。建設業界は長年続く公共事業の縮小に加え、先行き不透明な民間需要という厳しい環境に置かれていた。建設業団体の活動をより強力に推進するため、11年4月の3団体合併に至った。当時、BCS会長だった山内隆司日建連会長は「業界の付加価値や発信力を高める観点でも重要な意味を持つ組織改編だった」と振り返る。  4月の新団体発足へ全容が固まった直後の3月11日に起きた東日本大震災。合併に先立ち、3団体は「新日建連緊急災害対策本部」を立ち上げた。目に見える形での日建連活動の第一歩となった。震災から約1カ月後の4月15日には「東日本大震災にかかる被災地域の復興に関する提言」を発表するなど、業界内外に存在感を高めていった。

 その姿勢は土工協の活動を引き継いだ土木本部に表れる。国土交通省の各地方整備局などとの共催による「公共工事の諸課題に関する意見交換会」では、土工協時代から入札・契約制度の改善などさまざまな議論を行ってきた。土木本部長を務める宮本洋一副会長は「当初は議論に至らず一方通行に終わることも少なくなかった」ものの、「建設業の将来を見据えた課題をテーマにしたところ、議論がかみ合うようになった」という。議論の成果は、新・担い手3法の成立や公共工事設計労務単価の引き上げなど、建設技能者の処遇改善の後押しにつながった。

 東日本大震災から11日で10年の節目を迎えた。多くの会員企業がまちづくりや災害廃棄物処理などに貢献してきた。建築本部長の押味至一副会長は「防災・減災の重要性や発災から初動、応急復旧、本格復興に至るまでの建設業の役割について理解が深まったのではないか」と話す。この10年はインフラの持つハードな力と危機対応のソフトな力の両方が防災に必要だと再認識された。山本徳治事務総長は「ゼネコンの総合的なプロジェクト実行力を示す10年だった」と指摘する。

 日建連は15年4月、政府から災害対策基本法に基づく「指定公共機関」に建設業団体として初めて指定された。東日本大震災以降も16年の熊本地震、19年の台風19号など大規模な災害が相次いでいる。東日本大震災で培ったノウハウと経験をどう次世代につなげるか。今後の活動のテーマの一つとなりそうだ。

この記事へコメント

メールアドレスが公開されることはありません。