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建築家・宮本忠長氏が死去/風土に根ざした建築創造/3月29日に長野市でお別れ会  [2016年3月10日1面]

宮本氏

 建築設計や街づくりで功績を挙げ、日本建築士会連合会(士会連合会)会長を務めた建築家の宮本忠長氏(みやもと・ただなが=宮本忠長建築設計事務所代表取締役会長)が2月25日に死去した。89歳だった。葬儀は近親者で済ませた。お別れの会を29日正午から長野市県町576のホテル国際21「千歳の間」で開く。喪主は孫で宮本忠長建築設計事務所常務の夏樹(なつき)氏。
 長野県須坂市出身。1951年早大理工学部建築学科を卒業し、佐藤武夫設計事務所(現佐藤総合計画)入り。64年に宮本忠長建築設計事務所(長野市)を設立した。主な作品に長野市立博物館、信州高遠美術館、森鴎外記念館、北九州市立松本清張記念館、松本市美術館など。松本市美術館は04年に日本芸術院賞を受賞した。長野県小布施町の街並修景計画にも長年携わり、この功績が高く評価されて87年吉田五十八賞、91年毎日芸術賞を受賞した。
 87~01年に長野県建築士会会長、02~08年に士会連合会会長を歴任。建築士会の活動の輪を広げ、専攻建築士制度の運用を通じて消費者に分かりやすい建築士像を築くことなどに力を注いだ。93年黄綬褒章、04年旭日中綬章を受章。
 佐藤武夫設計事務所で師事した佐藤武夫から「15年はここで頑張れ」と言われていたが、帰郷を決めて13年目に独立。気持ちの整理がつかなかった帰郷の日のエピソードを本紙のインタビューで語ったこともある。その後は信州を拠点とする建築家として、風土に根差した多くの優れた作品を創造した。

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