東北新幹線復旧の1カ月・11/ユニオン建設、皆の連携が大きな力に

2022年10月6日 トップニュース

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 JR東日本グループのユニオン建設(東京都目黒区、福田泰司社長)は、地震発生翌日の3月17日から作業に入った。JR東日本に要請されたのは古川・盛岡駅間の軌道整備。当初は同社の北上新幹線保線技術センター管内が対象だったが、仙台新幹線保線技術センター管内も途中から加わった。同22日に再開が予定されていた盛岡・一ノ関駅間を、2日前の同20日までに仕上げた。残りの区間も同29日までに復旧整備を完了した。
 地震の影響が特に大きかったのが一ノ関・水沢江刺駅間だ。ユニオン建設の北上新幹線出張所所長を務める川又充は「スラブ区間だったが、横方向に17ミリ程度、高低20ミリくらいの大きな変位が出ていた」と当時の状況を説明する。軌道を動かす時にタイプレートと呼ぶ特殊な金属金物を用いるが、持ち合わせていたタイプレートでは対応できない変位量だった。「群馬県高崎市と福島県郡山市から、大規模変位に対応できるタイプレートや調整板を急きょ運搬していただき対応した」(川又)。
 軌道の復旧作業では糸を張って、レールの高低や通りを確認しながら整備していく。今回の整備対象区間は過去にも被災していたため、思うように整備できない箇所もあった。上下方向を調整する際、既に動かせる許容範囲ぎりぎりまで調整されている区間も一部にあった。そうした部分が1カ所出てくると、その前後の施工にも大きく影響するため、慎重かつ地道な調整作業となった。
 仙台新幹線保線技術センター管内には、普段は行かないような作業箇所も多い。間違えないように現地に行くことや、仕事が止まらないように材料を手配して運搬することにも気を配った。同出張所所長代理の荒川元希は「地震後に雪が降り、その中で調査をしなければいけなかった。調査、材料の手配、運搬すべてに苦労した」と振り返る。対象箇所数が124カ所に上り、多い日には約15カ所をこなした。「ボリュームが多くて、出張所の協力会社2社だけでは及ばない状況だった」と川又は言う。大宮出張所と、その協力会社からも派遣してもらい、最大80人規模で作業を急いだ。
 荒川は「精神的にも肉体的にも疲弊していた」と当時の状況を吐露する。だからこそ「区切りが付いたときにはほっとした。新幹線が走った時、良かったと思った」(荒川)。川又は「大変だと感じていた。大宮から手伝いに来てくれた方たちが、本当にありがたかった」と感謝の気持ちを話す。
 ユニオン建設は、今回の復旧作業を無事故無災害で終えた。「携わった方すべてが、新幹線の早期再開が望まれていることへの意識を持っていた。材料運搬は若手社員が率先してやってくれた」と川又は笑顔で話す。過去の災害復旧の経験者が迅速に対応し、現場の後方支援者も含めて皆が協力したことが早期復旧につながった。そうした今回の経験は、今後の災害対応にも必ず生きてくる。=敬称略