築城から400年以上、地元のシンボルとして親しまれてきた熊本城。2016年4月の熊本地震では建物や石垣が甚大な被害を受けた。傷ついた天守閣が元の姿を取り戻していく様子は、復旧・復興へ向かう被災地の心の支えとなった。
◇大林組執行役員九州支店長・土山元治氏
熊本地震の発生から1週間後に熊本城を訪れ、崩落した石垣や社殿が押しつぶされた熊本大神宮を目の当たりにした。多くの熊本市民と同様、同市出身の私にとっても熊本城は心のよりどころであり、さまざまな思い出と重なる。ぼうぜん自失となり、15分ほどその場から動けなかった。
出身地であることもあり、飯田丸五階櫓(やぐら)と南大手門の倒壊を防ぐ緊急対策工事の指揮を執るため、発災の1カ月後に熊本城工事事務所長として現場に入った。地震の被災箇所は他にも多く、県外の工事は通常通り進んでいるため人員の確保が難しい。当社の職員は私を含め4人という体制でのスタートだった。
飯田丸五階櫓は石垣の隅石(すみいし)だけが残って建物を支えていて「奇跡の一本石垣」と呼ばれていた。「(櫓が崩れないよう)なんとか助けて」といった市民の声がわれわれにも届いていた。
緊急対策は時間との戦いだった。現地を見て最も効果が大きい方法を考え、櫓を覆うようにコの字型に鉄骨を組み、櫓の下に「鉄の腕」を差し込んで支える工法を即決し、市に提案した。休日返上で作業を行い、約2カ月で仮受け構台の設置を終えた。その後、櫓下の石垣を当社が開発した重機の遠隔操縦装置「サロゲート」を導入して撤去した。
天守閣の復旧工事に本格的に着手したのは地震から1年後だ。城下町の熊本市街地からは天守閣の上層部分がよく見える。復旧が進む様子を実感してもらうことが被災地を勇気づけると思い、上層階の工事を先行した。
1960年にSRC造6階建てで再建された天守閣は梁の損傷が少なかった。これを利用して大天守の6階と3階に鉄骨を挿入し、鉄骨を土台に足場を組んで作業を進めた。
最上階とその屋根は甚大な損傷を受けていたため、制震ダンパー入りの鉄骨で再構築した。瓦ぶきは乾式工法で屋根を軽量化し、落下防止対策を施した。耐震補強では大小さまざまな揺れに対応できる2種類のダンパーをユニット化した「クロスダンパー」を設置した。
天守閣復旧工事の道筋をつけた19年春に市内のJR熊本駅ビルの現場へ異動が決まった。次の現場の工期も復旧工事と同じ21年3月まで。運命的なものを感じ、「必ず同時期に完成を」と復旧工事の後任と誓い合った。小天守も含め内装まで完成した天守閣を見たときは「きれいになってよかった」とほっとした。
熊本城の復旧に携わったことは貴重な経験であり、私にとって宝物だ。震災で傷ついた地元のシンボルを修復できるのは「ご縁以外の何物でもない」と使命感を持ち、意気に感じていた。これまでの経験を生かしてチャレンジでき、その後の工事でも自分が作成した工事計画は「絶対にうまくいく」という自信が持てた。
建設業界の後進たちには仕事に向き合い、真剣に考える姿を見せてほしい。目の前の困難から逃げず、考え抜いたことが形になり、充実感、達成感につながる。このことを伝え続けていきたいと思っている。
16年の4月14日に前震、同16日に本震が発生した熊本地震から10年を迎える。復旧プロジェクトや調査に携わった人々に話を聞いた(全5回掲載)。





