熊本地震から10年/インタビュー・4/北側復旧道路の整備

2026年4月16日 熊本地震から10年

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 阿蘇大橋地区の大規模な土砂崩落で寸断された国道57号の代替路として整備された熊本県大津町と阿蘇市を結ぶ延長約13キロの「北側復旧道路」。異例のスピードで開通にこぎ着け、沿線からは「1500日道路」とも呼ばれる。今では地域高規格道路の中九州横断道路の一部区間にも位置付けられ、地域の経済発展を支えている。

 ◇九州地方整備局道路部地域道路調整官・島川浩一氏
 調査第二課長として勤務していた熊本河川国道事務所の防災室で、本震発生後の2016年4月16日朝、防災ヘリコプター「はるかぜ」の映像を確認していた。土砂崩落であまりにも地形が変わっていて、最初はどこの映像かが分からなかった。東海大学のグラウンドが見え、ようやく直轄で管理する国道57号が被災し、そこにつながる国道325号の阿蘇大橋が落橋していることも分かった。
 国道57号に代わる熊本市方面から熊本県阿蘇市方面への啓開ルートとしてミルクロード(県道北外輪山大津線)に着目し、余震や土砂崩れが起きている中、職員が終点まで徒歩で調査した。すぐに復旧可能と判断し、その日の夕方には啓開作業を始めた。同4月22日には大型車が通れるまでになったが、大渋滞が発生し、線形も悪く事故も多発していた。
 同6月14日に政府の予備費が閣議決定され、国道57号現道の北側を迂回(うかい)する代替路として「北側復旧ルート」を整備する方針が決まった。ルート選定では事業休止となっていた中九州横断道路の「阿蘇大津道路」の整備のために行っていた過去の水文調査のストックが役立った。私自身もそれ以前、大分側の阿蘇外輪山を貫く滝室坂トンネルの整備検討に携わり、同様の地形でのトンネル掘削に対する知見があったのも早期のルート決定につながった。
 地元説明会を開催する中、特に阿蘇市の方々からは早期整備を望む悲鳴にも近い声が多く寄せられた。用地も阿蘇側は半年ほどで取得できた。二重峠トンネルの阿蘇側坑口にある農業用のため池を一時的に埋め立てて、工事用道路として使用することを提案した際も、快諾してもらえた。
 最大のクリティカルだった二重峠トンネルの掘削では直轄事業では初のECI方式の導入に踏み切った。先行掘削する避難坑の断面を通常よりも大きくし、そこから横坑を設けて最大5カ所の切羽から同時掘削するというスピードアップの提案をゼネコンから引き出すことができた。延長約3・7キロのトンネルを着工から1年8カ月で貫通させることができた。貫通時は本局勤務だったが、一報を聞き「光が見えた」と思い、本当にうれしかった。
 トンネル以外の明かり部を含め、施工期間中の発注工事は計97件に及んだ。ほぼ全線で一度に多くの工事が集中し、「重機の展示場」のような状況だった。ある業者の工事エリア内を隣接する別現場の作業動線とするなど、各業者間で工事が止まらないようにさまざまな調整を行った。
 地域維持型JVを取り入れ、自らも被災した地元の建設会社にも多く工事に参画してもらった。建設業者には感謝しかない。北側復旧道路の開通は国道57号現道の復旧と同じ20年10月3日。予備費の決定からわずか1573日だった。
 入省以来、先輩職員からは「知識・見識・胆識(たんしき)」が大事だと教わってきた。胆識は気概を持って絶対にやり抜くこと。それまで培ったことのすべてを注ぎ込んだ北側復旧道路は、私にとっての成果だ。

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