紙面で振り返る平成の歩み・7/7(1995)年/「安全神話の崩壊」に直面

2019年2月15日 トップニュース

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 △1月の阪神淡路大震災で甚大な被害が発生
 △大競争時代の指針「建設産業政策大綱」策定
 △相次いで見直された構造物の耐震基準類
 1月17日未明に発生した阪神・淡路大震災。日本の近代都市が初めて経験した大規模な地震災害で、その被害は死者5500人以上、建築物の被害総数約40万棟、被害総額約9兆6000億円と甚大だった。崩れ落ちたビルや高速道路の橋脚が横倒しになった写真や映像は今なお、多くの人々の脳裏に焼き付いているのではないか。インフラ施設づくりに携わってきた建設技術者にとって「安全神話の崩壊」という言葉を突きつけられた出来事でもあった。
 被災地の復旧・復興に当たっては建設会社が献身的に活動した。発生当日から2カ月間に建設業界が被災地に派遣した延べ人数は約65万人を超え、早期の復旧・復興に尽力した。地震発生メカニズムや構造物の被害分析なども官民挙げて実施。12月には建築物の所有者に耐震診断と必要な改修を行う努力義務を課した「建築物の耐震改修の促進に関する法律」が施行された。
 一方、建設省(現国土交通省)は新たな競争時代に向けた建設産業政策を示した「建設産業政策大綱」を発表。技術と経営に優れた企業が自由に伸びていく環境づくりを目指した、この提言は将来の建設産業の方向性を示した画期的な内容だった。新たな建設産業づくりは建設市場の急激な低迷や大規模災害の発生などで行く手を阻まれた。だが大綱の考え方はその後の「建設産業政策2007」、「建設産業の再生と発展の方策2012」などに受け継がれていった。