◇土木の作法大切にしてほしい
建設業界を卒業して6年になる。図らずも叙勲を受章したのは驚きと同時に極めて名誉なことだ。業界をはじめとするご指導いただいた皆さん、厳しい経営状況に遭遇した時に歯を食いしばって頑張ってくれた古巣の熊谷組や支えてくれた協力会社の皆さん、そして温かく見守ってくれた家族のおかげだ。感謝の念に堪えない。
富山県黒部市(旧宇奈月町)に生まれ、「世界一のダム」といわれた黒部ダムの建設工事を身近に感じながら育ってきた。小学5年生だった1963年に黒部川第4発電所の竣工式が行われた。高校生の頃に上映された映画「黒部の太陽」で約80メートルの破砕帯を掘り抜く大町ルート・関電トンネルの難工事を担当した熊谷組と、故石原裕次郎さんが演じた地元出身のトンネル掘削班リーダー・故笹島信義さんの存在を知った。熊谷組の企業風土に感動し、土木の素晴らしさに感化され、土木技術者として熊谷組で働くことが目標になった。
30代半ばの頃は黒部ダムの影響も追い風となり業績は絶好調だった。ただ時間の経過とともに憧れていた企業風土とはどんどんかけ離れ、諸先輩方がおごり高ぶっているように感じることもあった。給料はどんどん上がるものの、仕事に対する誇りが高まらない。そうした状況に我慢ならず、当時の幹部に建白書を提出したこともある。結果として国内外の開発事業などで負債を増やし経営危機に陥った。
当時、笹島さんにも現場に従事されていた頃の話を伺った。極限状態で挑まれていた破砕帯の難工事に比べれば、経営危機など取るに足らないと思い、試練を乗り越えることができた。熊谷組の原点は「人のいやがる仕事をください」ということ。笹島さんは全員が誇りを持って一つになる大切さを教えてくださったと思う。
社長に就任したのは2005年の52歳の時。あいさつに伺った全員から「大変ですね」と言われた。中でも鉄道建設・運輸施設整備支援機構の初代理事長で北海道大学の先輩でもある小森博さんの「いつ辞めるのか決めているのか」「過去の先輩が行ったこともすべて結果責任として背負わないといけない」という言葉が最も印象的だった。要は土木に心構えや生きざまを大切にする作法があるように、経営者にもAIやチャットGPTなどで可視化するだけでは計れない作法があるということだ。私自身、土木や経営者としての作法だけは大切にして体現してきたつもりだ。
最も心に残る仕事の一つが東日本大震災で被災した三陸鉄道南リアス線の復旧だ。全国から協力会社を募り約2000人が集まった。運転再開を待ちわびる地元の方たちの思いを受け難工事に挑み、約1年で20キロに及ぶ区間の運転を再開した。その時に初めて多くの人の心に残る仕事が土木に求められるものだと気付くことができた。
最近でもさまざまな講演で若い人に伝えているのは、社会の変化は激しいが会社に勤める「就社」ではなく、職業を選ぶ「就職」をしてほしいということ。会社の規模や安定感、処遇を大切にするのは理解できるが、それ以上にどういう仕事をしたいのかを大切にしてほしい。そして自分の能力や頑張りだけで今が存在するのではない。いろいろな人からの「おかげさま」の精神を時々でも思い出し、前を見つめて進んでほしい。