◇自治体は三つのレイヤーで対策を
政府の中央防災会議が設けたワーキンググループ(WG)は3月、南海トラフ巨大地震の新たな被害想定を公表した。想定によると首都圏から九州までの広域が強い揺れに見舞われ、津波は福島県から沖縄県まで広範囲を襲う。関係する地方自治体では人命被害を最小限に抑え、速やかな復旧・復興を実現するため一層の努力が求められる。力点を置くべきポイントを、16年間にわたり和歌山県知事として県の防災対策を指揮した仁坂吉伸氏に聞いた。
--現下の南海トラフ巨大地震対策をどう見る。
「一般的に津波被害が注目を集めやすい傾向にある。ただ私は、地震で亡くなる人もかなり多いと考える」
--地震対策のポイントは。
「建物の倒壊防止が、地震対策の肝になる。住宅の耐震化が喫緊の課題だ。ただ和歌山県の住宅耐震化率は、全国平均と比べて低い水準で推移している。2023年時点で全国平均が90%なのに対し、和歌山県内は84%にとどまった」
「私たちは『これでは駄目だ』と思い、持ち主の実質負担を極限まで抑えられるよう補助制度を手厚くした。負担は実質ゼロに近いが、それでも伸び悩んでいる。これはいまだに大きな課題で対策も途上にある」
--津波被害も甚大と見込まれる。
「津波対策では『命だけは助かること』が肝要だ。生きていれば助けてもらえる。11年の東日本大震災の例を引けば、国は国家財政を傾けてでも支援してくれるだろう。命を守るには、避難困難地域の解消に力を注ぐべきだ。南海トラフ巨大地震が発生した場合、太平洋沿岸には短時間で津波が到達する。避難が間に合わないエリアが生じる。こういう時は難しいことを考えず、裏山に駆け上がるのが一番だ。和歌山県では避難路をきめ細かく整備してきた」
「山が遠い場合もある。対策として津波避難機能を持った県営住宅の整備や、津波避難ビルの指定などを進めた。こうした地道な対策で一軒一軒『この家の人は助かるか』をシミュレーションし、避難困難地域をつぶしていった。堤防や護岸の強化にも力を入れた。結局は津波に乗り越えられるかもしれないが、強化しておけば時間稼ぎになる」
--復旧段階を見据え、平時に求められる備えは。
「災害に強い道路ネットワークの形成が欠かせない。東日本大震災の際、国土交通省は『くしの歯作戦』を展開した。東北自動車道沿道から海岸までを結ぶ16本のルートを選び、重点的に啓開した。同様の対応を可能にするには、内陸部の道路をあらかじめ強固にしておく必要がある。県知事の在任中は県道や県管理国道でバイパスを整備するなど、道路ネットワークの強化に計画的に取り組んだ」
「防災・減災、国土強靱化のための3か年緊急対策(18~20年度)や同5か年加速化対策(21~25年度)は強烈な効果があった。強靱化関連予算は別枠で確保してもらえるため、事業量の純増が可能だ。『国費がもらえるうちに早く終わらせてしまおう』と考え、集中的に整備した」
--東北地方などでは復興後、人口減少が深刻化している。
「『復旧・復興をどれだけ早く成し遂げられるか』が、人口減少に陥るか否かの鍵を握る。例えば11年の紀伊半島大水害では、鉄道橋梁が流失し、紀勢本線が部分的に運休した。しかし私は『すぐに復旧するから大丈夫です』と宣言し、沿線住民の流出を防いだ。並行して施工者に、復旧工事を急いでもらった」
「まずはリーダーが腹をくくり、住民を安心させなければならない。施工者には『仮に工期を過ぎてもペナルティーなど課さない』『絶対に守ってやる』と約束した上で、可能な限り工事を急いでもらう必要がある。こうした対応で9月上旬に被災した紀勢本線は、12月3日に全線復旧した。通常の工期なら、倍以上の時間がかかっただろう」
「復興に早く着手するには、事前復興計画の策定も重要だ。計画があれば被災後すぐ工事発注に入れ、迅速な復興が可能になる。すぐに発注に入れば国の助成も受けやすいし、早く復興すれば、復興が遅れている地域の分まで人を集められる可能性もある」
「対策に臨む自治体には『命をどうやってつなぐか』と『どうやって早く復旧するか』『どうやって早く復興するか』の三つのレイヤーで、適切な対策を打ってほしい」。
(にさか・よしのぶ)1974年東京大学経済学部卒、通商産業省(現経済産業省)入省。官房審議官(通商政策局担当)、製造産業局次長、在ブルネイ日本国大使などを経て2006年から22年まで和歌山県知事。和歌山県出身、74歳。