公平と平等は似て非なるものだ。前者は差異を踏まえて配分するすべ、後者は一律にそろえる思考停止の形式だ。だが、その境界は曖昧に溶け、「同じにしないのは不正だ」という短絡が幅を利かせている▼規範と規律、命令と指示。本来は違いを整理するための言葉が、分断の記号として切り出され、単純な善悪に押し込まれる。現場の事情や文脈は追いやられ、意味もそがれ、旗印だけが増殖していく▼言葉は現実をすくう網のはずだった。だが、乱用されれば、現実が網目に合わせてゆがめられる。「配慮」の名で文脈は刈り取られ、「不快」の一語で議論は閉じる。言葉狩りは静かに思考を痩せさせ、沈黙だけを太らせる。異論は「配慮に欠ける」と退けられ、やがて声を失う▼どこへ向かいたいのか。答えは皮肉なほど明快だ。考えなくてよい、波風が立たない、しかし何も決められない場所。その先に一体、何が残るのか。異なるものを異なるまま扱う胆力はどこに消えうせたのか▼言葉を磨くとは、刃を鈍らせ、切ったとうそぶくことではない。切るべきものと、残すべきものを選び取る、その責任に背を向けないことだ。






