BIMのその先を目指して・54/樋口一希/大和ハウス工業のBIM運用・1

2018年5月31日 トップニュース

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 20年からBIMを本格導入すると決定した大和ハウス工業の現在に至るデジタル運用の前史を振り返り、BIMのその先への更なる躍進に向けた戦略を検証する。

 □出自である住宅メーカーとしては括れない複合企業化を本格的なBIMの運用で支える□

 技術者の大量離職と人手不足、労務費や資材費の上昇、求められる働き方改革といった課題を抱え、20年の祝祭以降への不安も潜在する中で、本紙5月16日付1面では「主要ゼネコン26社高利益水準維持、18社が営業増益」と報告している。売上高トップは大林組の1兆9006億円だが、それを凌駕する3兆7959億円の大和ハウス工業はランキング表には見当たらない。東証業種名では「建設業」に分類されているが出自が住宅メーカーだからなのだろうか別扱いだ。
 連結決算では、主力3事業の「賃貸住宅」「商業施設」、倉庫などの「事業施設」で12%増の営業利益3471億円を稼ぎ出したのがわかる。反面、戸建て住宅事業の売上高は1%減となるなど、大和ハウス工業は、出自である住宅メーカー、従来の建設業としては括(くく)れないコングロマリット=複合企業化している。本稿ではそのような文脈の中にBIM運用を位置づけて検証を続ける。

 □永年にわたるBIM的概念の先取りによって可能となった現業態とマッチしたBIMの運用□

 大和ハウス工業のBIM運用の現況を明らかにするために2次元CAD普及期の80年代後半まで遡ってみる。当時、大半の企業が製図板に置き換え、手描きの図面をデジタル化するComputer Aided Draftingを目指す中で、大和ハウス工業はコンピュータを用いて設計を支援するComputer Aided Designを追求していた。そのために採用したのが日本システムの「Bi-CAD」であった。
 「Bi-CAD」は、BIMに通じる開発思想によって製品化されたシステムで、設計対象の建物を3次元モデル化し、2次元図面を生成する機能とともに、TCP/IP以前の独自の通信プロトコルによるネットワーク機能(レイヤーごとの排他処理など)も有していた。特筆すべきは、CPUもネットワークも能力が低く、大容量のストレージもない中で、初期の基本設計レベルに限定されていたが、対象建物の標準化とも同期する建物の3次元モデル構築を指向していたことだ。
 「『Bi-CAD』採用には関わっていなかったが、単なる2次元図面のデジタル化だけでなく、目指すところは3次元建物モデルの構築であるとの認識は社内で共有し続けていた」(BIM推進部BIM標準推進グループ長の伊藤久晴氏)
 BIM的概念の先取り運用があったからこそ、大和ハウス工業の業態とマッチした現在のBIM運用が実現したと類推できる。

 □東京大学に寄贈した隈研吾氏デザインの研究棟に活用した施工BIMで注目を集める□

 大和ハウス工業のBIM運用が注目された端緒は、14年8月29日に開催されたAUTODESK UNIVERSITY JAPANでの伊藤久晴氏の講演「『東京大学大学院情報学環学術研究棟』における施工BIMの取組み」であった。同研究棟は大和ハウス工業が東京大学に寄贈したもので、坂村健教授が監修し、建築家の隈研吾氏がデザインを担当している。
 建物構造はラーメン構造で地下2階地上3階建て延べ床面積約2700平方メートル、外観には隈氏の独壇場であるウロコ状の杉板を張り巡らし、隣接する懐徳館庭園側の外壁にはわが国を代表する匠の左官職人、挟土秀平氏の手になる土壁を配しているのが特徴だ。
 施工を担当した大和ハウス工業では、外壁=5500枚、軒天=2300枚に及ぶ杉板の1枚ごとの角度を調整し、隙間を最適化するために施工BIMを活用、隈氏のデザインを具現化するのに成功している。
 次回は、BIMの現状の調査、分析を踏まえて明らかとなった課題への解決策とともに、全社的なBIMの本格導入のために策定した全体計画について報告する。
 〈アーキネットジャパン事務局〉(毎週木曜日掲載)