リスキリング/「人への投資」成長戦略の柱に

2023年1月1日 特集 [9面]

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 □ジャパン・リスキリング・イニシアチブ・後藤宗明代表理事に聞く□
 日本社会に急速に押し寄せるデジタル化の波が、企業活動に変革を迫っている。デジタル技術を活用して既存製品を高付加価値化するとともに、新たなサービスを生み出さなければ生き残れない時代に入った。鍵になるのが現有社員のリスキリング。企業への導入を支援しているジャパン・リスキリング・イニシアチブの後藤宗明代表理事に、国内外の動向や取り組む上でのポイントなどを聞いた。
 --海外のリスキリングの動きは。
 「米国の企業が2016年ごろからリスキリングへの投資を活発化している。社員の知識や技術などを新たな価値を生み出す資本と捉える『人的資本投資』の側面が大きい。シンガポールも国が主導しリスキリングを導入している。いずれも世界を代表するデジタル先進国といっていいだろう」
 --リスキリングによる企業や社員のメリットは。
 「企業にとっては従業員を新たな収益源を生み出す人材に生まれ変わらせることができる。生き残っていくために不可欠な取り組みだ。社員の立場からすると、業務の自動化などによって将来的に人の配置がなくなる仕事ではなく、社内で今後成長する仕事に携わることができる。デジタル技術を組み合わせることで差別化されたスキルを身に付けられる。転職を含めた選択肢も広がる」
 --人材流出は企業にとって痛手だ。
 「リスキリングは『もろ刃の剣』でもある。デジタル技術を身に付けた社員は自社を成長させるために非常に重要な人材になる。しかし昇給、昇格という形できちんと報いないと優秀な人材ほど流出する可能性が高い。例えばコロナ禍を契機にオンライン講座を開設した企業では、技術を習得した従業員が1・5倍の報酬を得られる別の企業に転職する事例があった。給料を上げられずに失敗するケースは多く見られる」
 --給料を上げる余裕のない企業は多い。
 「私見だが『給料』『やりがい』『働く仲間』という三つの要素のうち、二つのバランスが崩れると人は転職を考え出す。給料が低いけどやりがいはあり、働く仲間も素晴らしい場合は今の勤務先で働き続ける可能性が高い。心理的安全性を確保した職場をつくることが重要だ。ただ少しでも給料を上げることは考えないといけないだろう」
 --学び直しに当たっての心構えは。
 「自分自身の今までの仕事の経験を棚卸しすることだ。自動化などの社会的変化を想定しつつ、自身の強みとなるスキルが通じるかを冷静に見極める。これから何をしたいのか、どういう知識や技術を学びたいのかも明確にしておくべきた。会社側も社員にリスキリングしてほしい分野を複数明示した上で、キャリアプランについて社員一人一人と丁寧に話し合い、サポートしていく必要がある」
 --勉強時間をどう確保する。
 「今は週末や帰宅後に自発的な勉強を求める企業が多い。リスキリングは企業の生存戦略がかかった業務。必ず就業時間内にやるべきだ。帰宅後、夜に勉強するのは実際難しく、続かない。成果は出にくいだろう」
 --勉強について行けず脱落する人をどう防ぐ。
 「その人の優れている能力は何かを会社が把握することが大事だ。向かない仕事をするための勉強をしても良い結果は出ない。会社がいかに人を資産と捉え、新しい事業展開に向け社員をサポートするのか企業の姿勢が問われている。社員一人一人の得意分野を見極めるための投資をしてもらいたい」。

 □東大、メタバース上に工学部講座開設/鹿島など6社参画□
 東京大学大学院工学系研究科はメタバース(3D仮想空間)を活用したリスキリングの取り組みを展開している。昨年9月、メタバース上に「メタバース工学部」を開設。DX人材の育成に向け、データ分析や5Gといったデジタルの最先端技術を学べる講座を設けた。
 開設に当たり鹿島など民間企業6社が技術面で協力。講座は各社の社員研修などに活用している。鹿島は現場で働く社員が、デジタル技術に関心を持てるような仕掛けづくりにも注力。同社の真下英邦デジタル推進室長は「社員には将来の発展性を見越し、積極的に能力を身に付けていってほしい」と期待を込める。
 メタバース工学部はメタバース上に設けた通信教育プラットフォーム。東大の教員らが最先端技術を教えている。鹿島に加え△ソニーグループ△三菱電機△リクルート△丸井グループ△DMG森精機-の5社が設立に協力した。
 2022年9月23日にメタバース上で開いた設立記念式典には参画企業のトップらがアバターで参加。鹿島の天野裕正社長は「これまでの業務で身に付けた専門知識に加え、DXなど新たな分野の知識を得ることは大きな力になる」と期待を込めた=写真。
 同10月18日に開始したカリキュラムの一つ、「リスキリング工学教育プログラム」は△グローバル消費インテリジェンス(AI講座)△アントレプレナーシップ(起業家精神)△次世代サイバーインフラ△Python(パイソン)基礎-の4コースで構成する。
 AI講座はデータを分析し施策の検討に生かすスキルを養う。起業家精神の講座は新規事業の立ち上げなどを通じ、社会的価値の創出に常に取り組む姿勢を学ぶ。次世代サイバーインフラの講座は5Gなど、今後主流になる通信インフラの利活用方法を検討。パイソン基礎講座は汎用(はんよう)的なプログラミング言語「パイソン」を習得する。
 一方で社員研修の対象となる6社の社員にとっては、講座で扱う知識が実際の現場でどう生かせるのか、直感的にイメージしづらい側面もある。そこで鹿島デジタル推進室が注力しているのは現場が抱えている課題と解決につながる技術のマッチング。社員が課題を持ち寄り、デジタル技術を使って解決策を提案するワークショップ(WS)を定期的に開いている。WSを終えた社員には各自の職場に戻った後、技術活用のアイデアを職場内で共有してもらう。
 こうした取り組みが奏功し、鹿島からはリスキリング工学教育プログラムの初回クールに社員109人が参加。各社に割り当てられた受講枠は約100人だったが、募集開始後すぐに埋まったという。年齢層も20代から60代まで幅広い。「立場や年齢を問わず、新しいことを学ぶ意欲を持つ社員が多いことに驚かされた」(八塚葉デジタル推進室企画チームリーダー)。
 国土交通省が直轄工事でICT活用を推進するなど、DXの波は建設産業にも押し寄せている。真下デジタル推進室長は「今後はどんな課題に取り組むにも一定のデジタルのスキルが必須になる」と認識。「さまざまな研修の機会を提供し、スキルの底上げを図っていきたい」と話す。