回転窓/探しものと人の心理

2026年6月15日 論説・コラム [1面]

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 物理学者の寺田寅彦(1878~1935年)が残した随筆『錯覚数題』に、「捜すものは無い」と題した一節がある。〈捜さない時には、邪魔なほどに目の前にころがっているものが、いざ入用となって捜すときはなかなか見つからない〉▼その理由を寺田は〈そういう特別な場合の記憶だけが残存蓄積するせいもあろう。捜してすぐにあった場合は忘れるからである〉と書いている▼身近なことでは、いつもと同じ所に置いたはずの物が、どうにも見つからない時がある。結局は自分の勘違いと分かるのだが、誰かが持っていったのではないかと、良からぬ思いに駆られることも。〈七度尋ねて人を疑え〉。軽率に人を疑ってはいけないという格言が身に染みる▼探すのは物だけではない。膨大な情報が行き交うデジタル社会。利便性や効率性は向上するが、情報があふれるだけに、本当に身になるものを探すにはやっかいな時代かもしれない▼寺田はこうもつづっている。〈結局自分に入用なものは、品物でも知識でも、自分で骨折って掘り出すよりほかに道はない〉。時代は変わっても、「さがす」ことの本質は変わっていないのだろう。

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