回転窓/井戸を掘れない人と掘れる人

2026年6月16日 論説・コラム [1面]

文字サイズ

 会話はキャッチボールとよく言う。だが実際は、ボールを受けるより投げる方が楽なことが多い。自分語りは迷わずできるし、沈黙も埋められる。相手がうなずけば、なお心地よい▼記者の仕事は、その逆にある。取材では、自分が話し過ぎた瞬間に大切な言葉を逃す。少しだけ呼び水を差し込み、相手が安心して話せる流れをつくる。沈黙を恐れず、表情の変化や言葉のためらいに耳を澄ます。そうして初めて、本音が顔をのぞかせる▼人は誰しも、自分を分かってほしいと思う。自分語りが悪いわけではない。ただ、人の話を引き出すほど、自分の知らなかった世界が現れる。相手の言葉をたどり、思いがけない景色と出会う喜びが記者の妙味だ▼年齢を重ねるほど、人は語りたい物語を抱えていく。だからこそ油断すると、人の話より自分の答えを急いでしまう。冗舌さと対話力は違う。たくさん話すより、相手に話してもらう方が難しい▼井戸を掘る人は、自分の水量を誇らない。深く掘れば、まだ知らない水脈があると知っているからだ。他人の井戸に耳を澄ませば、自分の世界も深くなる。会話とは、水脈を探す営みに近い。