忙しさとは、不思議なものだ。人を鍛えることもあれば、人の輪郭を雑にしてしまうこともある。余裕を失えば、視野は自然と狭くなる▼目の前の数字や締め切りに敏感でも、周囲の疲れや沈黙には鈍くなる。厄介なのは、多くの場合、本人にその自覚が乏しいことだ。「今は仕方ない」「後で整えればいい」。そんな言葉を重ねるうちに、周囲をじわじわと疲弊させていく▼人は誰でも忙しくなる。問題は忙しいことではなく、その中で何を見失うかだ。忙しさを理由に対話を省き、結果だけを求め続ければ、やがて誰も本音を語らなくなる。静かな職場は、統率が取れているのではなく、諦めが広がっているだけかもしれない▼若い頃の未熟さは、年齢を重ねただけで風格に変わらない。放置された欠点は、肩書を得た瞬間から周囲を巻き込み始める。それでも経験を積んだ人ほど、「自分はもう変わらなくていい」と思い込みやすい▼耳の痛い声を遠ざけ、「忙しい」を免罪符にして振り返ることをやめた人間は、少しずつ他人の痛みに鈍くなる。覚悟とはきっと、その鈍化にあらがい、必死に前へ進み続けることなのだろう。






