回転窓/へそ曲がりと臆病さ、終点なき旅を記者と呼ぶ

2025年12月16日 論説・コラム [1面]

文字サイズ

 新聞記者という生き物はつくづく不思議だ。へそ曲がりな感覚とほんの少しの臆病さがないと、この仕事は務まらない気がしている▼組織に属しながらも、胸の奥でははみ出し者の血がたぎっている。そのくせ、自由の重さに押しつぶされそうになる日もある。“責任なき自由はただの逃避”と強がりながら、自分の影にうんざりする瞬間も。そんな時こそ、矜持(きょうじ)という言葉を思い出す▼気恥ずかしい響きだけれど、それがないと記者は風に舞う落ち葉のようにどこへでも運ばれてしまう。真実は気まぐれ。こちらの意図などおかまいなしに、思わぬ方向へ転がっていく。でも風が吹けばおけ屋がもうかるみたいに、何げない情報が突然すべてを動かすスイッチになる。その一瞬がたまらない▼だからこそ、尽きない興味が記者の命綱だ。能力が本当に顔をのぞかせるのは、石を積むような努力の先。書き手が磨かれれば、言葉も自然と光る。皮肉をひと粒、比喩も少し。読者の眉が少しでも動けば勝ちだ▼記者とは世界のざわめきを拾う職人--きょうも耳を澄ませ、風を読む。自分を高め、もがき続ける旅に、終点なんていらない。