東京都日野市にある「日野市立中央図書館」が、国有形文化財に登録される見通しとなった。外観のれんが造りや閲覧スペースの配置は、全国の図書館建築に影響を与えてきた。開設に向け奮闘した前川恒雄初代館長(1930~2020年)の思いを色濃く反映した設計で、レイアウトは開館した当時とほぼ変わらない。利用者のニーズが移り変わる中、市は前川氏の図書館に懸ける情熱を継承し、時代に合ったサービス提供によって地域の「知の拠点」を守っていく。
日野市立図書館の歴史は1965年、1台の移動図書館「ひまわり号」から始まった。前川氏は、同市出身で戦後の公共図書館振興運動を推進した有山たかし(=嵩の異体字)元市長(1911~69年)の誘いで日本図書館協会に入り、その後、市の職員になった。当時の図書館は受験勉強の場と化しており、前川氏は「市民が自ら使いこなす道具」への再定義を試みたそうだ。この思想が日野の図書館づくりの基盤となった。
「図書館は建物単体にとどまらず、市民に資料を提供するシステム全体」。前川氏はそう考え、建物の建設よりも、市民が自らの手で本を選ぶ習慣の浸透を優先した。約2000冊を積んで市内を巡るひまわり号には市民が殺到。リクエストに応えることで利用者を増やしていったという。ひまわり号は現在も現役で、市内の公園などを巡回している。
その後、市民の声を受けて分館を設置し、73年にはJR豊田駅から徒歩圏内に念願の中央図書館が開館した。所在地は豊田2の49の2。建物はRC造地下1階地上2階建ての規模だ。
耐震改修などを経ても「完成当時と外観はほとんど変わらない」と話すのは現館長の奥住大輔氏。文化財登録では「造形の規範となっている」と評価され、全国の図書館建築に影響を与えた点が認められた。記録をさかのぼると、中央図書館には近隣自治体だけでなく、北海道や愛知県など遠方の自治体からも担当者が視察に訪れていた。
中央図書館の設計を担当したのは、建築家の鬼頭梓氏(1926~2008年)。鬼頭氏が設計した東京経済大学の図書館について、前川氏は「細かい部分まで神経が行き届いている空間づくりだった」と評価していた。当時の市長に直談判し、鬼頭氏への依頼が決まったという。
前川氏が掲げた設計方針は、▽新しい図書館サービスを形で表す▽親しみやすく入りやすい▽利用しやすく働きやすい▽図書館の発展や利用の変化に対応できる▽歳月を経るほどに美しくなる-の五つ。特に、従来の閲覧室を設けず「レファレンス室」を設けた点は、図書館本来の役割を体現する画期的な試みだった。
一般書と児童書の開架をL字型に配置し、中央の共通カウンターで貸し出す動線とした。当時は児童書フロアとそれ以外を分ける図書館が多かったが、親子ぐるみの利用促進を狙った。南側の中庭に面した壁を全面ガラス窓にするなど、採光面でも工夫を凝らした。
奥住館長によると、下段の本を取り出しやすくした書架や机は完成当時のまま。床の色は当時の明るい色から変わっているものの、長い年月を経て味わい深さを増している。
一方で、完成から半世紀以上が経過し、老朽化による雨漏りや空調の不具合も出始めている。市は24年に社会教育施設個別施設計画を策定し、中央図書館を含む市有施設の改修方針を示した。中央図書館は築80年まで、長寿命化改修で対応する予定だ。
市は24年に電子図書館サービスも開始した。市内の小中学生がタブレットで本を読んだり、調べものをしたりできる環境を整え、本に親しむ機会を提供している。貸し出し中がなくなるほか、探している本や資料が見つけやすいなど、電子化のメリットは大きい。
利用者からは「文化財登録は誇らしい」との声が寄せられている。文化財になっても主役は市民--。前川初代館長の思いを受け継ぎ、奥住館長は「単なる本を貸し出す場所ではなく、居心地の良い『居場所』となる図書館を、市民と一緒に造りたい」と言葉に力を込めた。







